清水気功では絶対ポジティブの高次元の波動と同調する戦略として大義名分・キレイ事を採用します。
不安、無視、怒り、嫉妬、憎悪、被害者意識は、ネガティブと同調するのでダメなのは分かると思いますが、憧れ、羨望、尊敬、崇拝も、我と彼を対比して高嶺の花的に高い目標とするために対象と分離してしまい同調できません。
人の驚くような成功例を見聞した時、羨んだり妬むと格差が生じて分離しますが我が事、我が子の成功のように素直に喜ぶ。その時だけ対象と同調します。求めている時は足りていない時であり、喜んでるときは満ちている時です。
不快感、不安な気分というのは心身を重くして無気力にしてしまいますが、目を閉じて体内に注目を向けると患部や頭にモヤモヤ感が重さ苦しく感じる部分があると思います。違和感がある部分を手で触れると冷たく感じられる。
鳩尾(みぞおち)が固まっていると同調が妨害されます。呼吸が浅く、ゆったり呼吸が出来ない。
頭では理解できても体感として納得できない。同調は理解ではなく納得・共感。同調共鳴です。
呼吸機能が弱っている状態は陰陽五行的には「悲しみ」の状態です。肉体レベルで喜べない。
頭では理解できても体感として納得できない。同調は理解ではなく納得・共感。同調共鳴です。
呼吸機能が弱っている状態は陰陽五行的には「悲しみ」の状態です。肉体レベルで喜べない。
吐く息で患部や重苦しく感じる部分が白く光り輝き、吸い込む息で黄金色に光り輝くとイメージして、
黄金の光で体内を満たし、黄金の光が体外まで漏れ光っていると思えるまで行うと自然に気分が軽くなります。呼吸に意識を向けるだけで息苦しくなる場合は、息を吐くイメージで白く輝き、吸うイメージで黄金色に輝くと思考します。
良い気分が常態になるとストレスで固まっている鳩尾(みぞおち)が緩んで指先を斜め上に突き入れると肋骨がつかめるようになります。
弥陀を正面、青空一杯にイメージして念仏する光明主義の光明念仏は気の身体を大きくするそうですが、自声をリッスンしながらリズミカルに発生することで肺の金行の悲しみを喜びに転換させる効果も潜んでいそうです。