願いを叶えるのに「自信」は必要ないという事を書いたのですが・・・
更新されていた『よし新聞9月29日』を読むとスポーツネタで「自信」が必勝フラグを立てると・・・これは中村天風さん、キリスト教の愛、信念=メンタル次元の物語・・・カテゴリに分けると・・・
仏教=不幸を消す。キリスト教=愛、創造。神道=豊作。
仏教=不幸を消す。キリスト教=愛、創造。神道=豊作。
グッドルッキングの習慣のひとつとして毎夜、雨の日でもマドンナのポーズで、夜空を眺めて流れ星を探すというのをずっと行っていますが、昨夜も今年4度目の流れ星を見たのですが・・・グルっと一回転して、2秒程で消えて行きました。流れ星というより未確認飛行物体と言った方がいいのか?
マドンナのポーズの手の型は中国拳法形意拳の虎口という手のひらと手首のツボを開き気を手から出す形に似ていますね、東洋医学の父と呼ばれた平田内蔵吉(くらきち)の経絡体操は八光流柔術の護身体操として組み込まれ残っていますが、督脈、任脈体操で自然体に戻る時、脱力して肘を落とす一瞬マドンナのポーズに・・・
その型を維持して立禅していると母指から熱の流れが脚の内側を昇って背中を下から持ち上げられ胸が左右に開き意識が拡大して上に引き上げられる。姿勢が矯正されるので背骨の椎間板が引き伸ばされるのと眼球周辺が緩んで視野が広がるという作用効果で意識が拡大されるというのもあるのですが、清水気功で学んでマドンナのポーズがそのまま大周天のポーズであり、神降ろしも出来るポーズと知って納得しました。瞬間開運法になるマドンナのポーズ。寝ても出来るし、イメージだけでもいい、空間も浄化できるし、脳のストレスも解消できる。
マドンナのポーズとは、奇跡のメダイの聖母マリアのポーズですが聖別されたメダイはお守りとして身に付けるだけでもいいですが、マリア様は仏教において聖観音でもあるので他仏の三昧仏として観想の対象にしてもいいですね。目を閉じていて後光が射すという円相体験・・・光明念仏を集中して練習した時はマドンナのポーズの弥陀を眼前1メートルの場所(オーラ及び結界の境)に観想して「ナァ、アァ、ダァ(なむ・あみ・だぶ)」と、打ち込み念仏のリズムで唱えていました。
どん底の気分の時はチャクラも閉じて鈍感になっていますが、マドンナのポーズのマリア様の画像を目の前に置きクヨクヨしながらでも、しばらく眺めていると百会、眉間のチャクラが浄化され天運と繋がって来るのを感じます。オーラがクレンジングされ気分が晴れてくると・・・「ハァー!まあ、いいか」・・・八方塞がりだった道が開かれてきます・・・エーテル次元に染み込んでくるのにタイムラグが生じますが・・・
気分が晴れてきたらマドンナのポーズのまま音霊法に入ると百会のジンジン感が眉間に広がって来るので、気分が乗ったら男周り小周天へと移行するのもいい。天音妙訣を知らなくてもマドンナのポーズを知ってればいい。三密加持を知らなくても音霊法を知っていればいい・・・マインドセッティングも必要なく、能力伝授無しで出来る。
どん底の時は、動けば動くほどマイナスの引き寄せが炸裂するので軽挙妄動をせずマドンナのポーズで佇む。その時、余力があれば、白いラインの正方形のラインを閉じるイメージで結界を張る・・・四隅に真っ赤なバラが四本、結界内は風にそよぐ緑の草原、足元に一輪の真紅のバラ、青空と白い雲が広がり優しい日差しが射しこんでいる・・・傷付いたハートを癒すイメージ映像。
唯識論などの難解な仏典に寄れば仏性の種は、カルマの種と呼ばれる黒い点のような針の中に眠っているという。これは雰囲気をイメージ映像に変換すると蛾の鱗粉のような飛び交う黒いトゲであり、眉間周辺や胸周りにあると脳梗塞や心臓麻痺、心筋梗塞の予兆のようです。私は、緊急事態だと感じてドカン!と神様を被せて副作用がヤバかったですが・・・能力が無い人の場合は、対象者にマドンナのポーズのイメージを重ねてもいいと思います・・・カルマの種は生きていれば普通に生じるネガティブ感情のパッケージであり・・・問題なのは、そのことに対して執着して困っている気分でいること・・・マドンナのポーズの画像をボーッと眺める。あとは如来光明礼拝儀を唱えてみる。
「如来光明礼拝儀 「至心に讃礼す」」
・・・南無炎王光仏。
衆生無始の無明より惑と業苦の極なきも大炎王の光にて一切の障り除こりぬ・・・ほぼ不動明王の御利益。般若心経なども効果があると感じるけど百会、眉間、喉のチャクラの感応がスゴイのが如来光明礼拝儀。
相談所に匿名でも電話出来るくらいなら大丈夫だけど、ガマン、忍耐して心に蓋をしてるとね・・・
「忍耐」は美徳の様に思われがちだけど「制御」とは違うから大丈夫に見えても限界を超えると自尽しかなくなる。