清水気功の実践と考察

気功師・清水義久先生の清水気功の実践と考察を書いています。

2022年08月

清水気功 引き寄せの法則の極意



清水義久先生は、極悪非道の加害者は許しても被害者意識の人は許さないと繰り返します。
その理由はひとつ、被害者意識を持っている限り幸せにはなれないから。

嘘でもいいから周囲がドン引きするくらい本当に嬉しそうに「ふっふっふっ」と喜びなさい。
現実に関係なく自分が幸せである必要はこれっぽっちもない。

喜んでいるマネをしていると喜びも悲しみも消えていき幸せのエネルギーだけが残る。
幸せなフリで、幸せと共振する。


君たちが祈る時は、辛気臭そうで辛そうだよ。幸せになれるのに嬉しくないの?
と、清水先生は指摘していました。


祈る時に必要なのは、軽やかで明るい幸せそうな雰囲気。
願い事がネガティブでも、祈る人がポジティブじゃないと幸せをお裾分けできないよ。


祈るという事は、嬉しさ、感謝の感情が湧き上がるまで願い事が叶っている場面を妄想する事。
アストラル体で感謝の念が湧き上がったら、想像するゴールをメンタル体という。
「叶って良かったな!」という思考でできている。思考は言葉でできている。

毎日、都合のいい未来を想像し、言葉を言って繰り返していると「本当になるかも?」と
気分が傾いてくる。するといつか嬉しい気分が気分が湧き上がってくる。
大宇宙に響き渡るような「やったー!」という絶叫が生まれる。

その時、メンタル体のエネルギー充電完了!
その時、未来座標ではなく、現在座標で叶ったと思う時、小周天のループが閉じサーキットが形成される。



清水気功 気功であり宗教・似非スピビジネスじゃない理由



清水気功では密教、古神道、キリスト教神秘主義、易経などをノウハウとして学びますが、
信仰は自由であり、御利益を信仰の基準にする時点で趣味と定義しています。

引き寄せの法則、願望実現法、瞑想法、般若心経を使う清水気功が気功であり、拝金主義の宗教やスピビジネスと違うところはエゴにまみれた今の自分を肯定しているところです。欲を肯定し欲を満たしてそのままの自分でエゴを超えて行く。


通常の宗教は我を光とし、我じゃない世界をエゴ・無明として分離させて神様の意に沿うものだけが
救われるという立場に立ちますが、清水気功では手で触れられ五感で感じられる現実を重視し、一時的な気休めにしかならない現実逃避にしかならない教えやノウハウは採用されていません。


清水気功では効果が無い物は扱いませんが、個人によって好き嫌いがあり自分が納得し、信じたノウハウしか効果が無いという法則にのっとり同じテーマでも内容が異なります。同じ技でも簡略バージョンと本気バージョンがあり、帰結的にEgボールだけでいいじゃん!そんな大事な事なら、もっと早く言っってよ!というのが清水気功では頻繁にあります。

でも、それは常連さんの発想で、いやいやいや意味不明です。もっとシンプルの方がいいです。
と、清水先生が本気になるほど初参加の初心者は置いて行かれます。私は置いて行かれました。


清水気功が気功である理由は気を感じる気感、五感を総動員した妄想による感情の変化、Egボールを入れた水やコーヒーの味替えなどの実際に体感できる気を使った遊びの延長線上に現実を変えるノウハウがあり、筋力テストによる筋力の変化など肉体的感覚がベースになっています。

効果を得る為に、日々の効果を測らず淡々と薄紙を一枚一枚積み重ねるような練習を頑張らずに継続する。


清水気功、矢山気功が普通の気功と一線を画している点は、密教の三密加持をベースにしているので、
頭頂の百会のチャクラの感覚を開いて貰えるところだと私的には思っていますし、百会の気感の強弱を
基準にしているために、清水先生が急病で倒れて療養中の今でも疑う事なく実践できています。


肥田春充さんなどは父親、兄・川合信水、政治家・押川方義さんなど人格が高潔な人たちが身近にいた影響で大本教の教えを良いものと認めながら、出口王仁三郎さん出口ナオさんら教祖の人格が高潔ではないとして完全否定し、同様に天理教や霊術なども指導者の人格が高潔ではないから信じるのに足らずとして、積極的に弾圧する側に回っています。我側が光で世界がエゴ・無明と分離させた典型的な例ですが、同年代人でありながら光明主義の山崎弁栄さんは例外として、明治大正昭和初期の著名人の言動は国粋主義的な強烈な自画自賛が目立ちます。注目している野口晴哉さん、中村天風さんも同年代人であり、共通した時代の匂いが感じられ、癖が強く、現代人で言えばアップル社のジョブズさんと同様に枠組をはみ出ている。周囲を辟易させるアクの強さが、世間に絶賛される結果を出すとスケール感の大きさだと錯覚します。


清水義久さんも大言壮語が目立ち、問題提起のあとの大言壮語しつつのノウハウの提示は、拝金主義の宗教・スピビジネスの勧誘と同じ手口です。それが分かっていて、私を含めノウハウを知って奇跡を目撃させてもらっている人も少なくないはずですが、効果をまるで体験出来ず拝金主義のスピビジネスだと感じている人も少なからずいるはずです。


私個人としては、清水気功が好きで、再現性の高いものにすることを考えていますが、
清水気功を実践して、効果が無いと感じているなら今すぐ切り捨てた方が賢明です。
帰結的には、たとえ本物であってもスピビジネス、霊感商法的だと思うものからは逃げましょう。
本物でも、自由意思を恐怖や不安で束縛してくるものはヤバイという事です。





清水気功 禁止命令の願いが叶わない理由。



願望実現法、引き寄せの法則を学んでも困った状況の現場では間違った考え方をしてしまいます。

ある国際チームはインタビューに「(メダル)手ぶらでは日本に帰れない」と語りチームひとりひとりの共通認識になっており闘志を燃やしてゲームに臨んだ結果、メダルには手が届かずに帰国しました。

殆どの人は、これと同じ間違った考え方をしていると清水義久先生は語ります。
それは、困っている為に、困った状態からの脱出だけに焦点が向いているために制限を作って見積もりを下げているためです。

パチンコに狂い生活費を使い込んでしまう夫に悩んでいる妻が、引き寄せの法則や願望実現法を学んで、黄金色に輝いたEgボールに願いを入れたら叶うんだけど、どんなお願いを入れますか?

と質問されると


・パチンコを止めてもらう。
⇒ パチンコ大好き。止めたくないと反発されてお願いは叶わない。

・パチンコに変わる健全な趣味を見つける。
⇒ 嫌!パチンコ大好き。

・お小遣いの範囲でパチンコをさせる。
⇒ 嫌!勝てるまではパチンコを続けたい。

・パチンコで使うお金以上に稼いでもらう。
⇒ 昇進しないと無理!ボーナスもカットされるかも。


などなど、願いが叶う黄金色に輝くEgボールに入れても反発されるお願い事しか思い付きません。
それは困った状態や現状の自分の視点から願い事を考えている為に「問題解決」がゴールだと制限を作ってしまっているためです。

問題解決に焦点が向いていると「禁止命令」のお願い事しか思い浮かばず、この状態を清水気功では、
「霊能者禁止!」と表現しています。禁止命令のなにが問題か?といえば、禁止命令には「成すべき目標」の情報が含まれていません。

顕在意識のセルフでは、「手ぶらでは帰れない」と「手ぶらで帰る」という言葉の違いを理解していますが、潜在意識や脳は言葉の違いを区別してくれません。

「手ぶらでは帰れない」という言葉は、メダルを獲得できずに日本に帰国している映像を見て、
「それは嫌だ!」と否定している言葉であり、これはまずい。

「〇〇をしたらダメですよ!」と強調して何度か言うと必ずそうなる。
「メダルが無い!」という映像が先にあ為にメダルが無い状態が強調されてしまう。
子供に「〇〇をしたらダメよ」と注意する程、子供はダメということを繰り返すようになる。

怒ってもいいが「何をしてはダメ!」ではなく、「何がしたいんだ?」「何をする気だ?」と文章に目標を入れる。同じように、困った状況や現状の自分を無視して、最初から、何をやりたいか理想の状態を考える。


「やるべき事(義務・役割)」と「やりたい事(目標)」が違うように、「今できる事」と「やりたい事」は違う。今の私という視点に立つと制限を低くして見積もりも小さくなる。


りゅうちぇるさんは、理想の夫の役割を演じることが苦痛となりペコさんとの離婚を選択しましたが、
3人で幸せな家族として暮らしていくための前向きな選択だったと語っています。離婚を選択する場合でも、自分と家族の幸せという目標が入っているケースです。


最初から理想の私なら最終的に、どうなっていたいかを考える。

アップル社創業者のスティーブン・ジョブズは、スマホを作った時、アイデアを競うためにグループを複数に分けて開発競争しようと考えている部下を怒りました。

アイデアを何百個も考えても箱は1個しか作れない。グループを分けて複数のアイデアなんて考えるな!最大の能力で、最大の人間で、全力の労力を最後の1個に注げるように最初から目指せ!と命令を出し、アップル社の独り勝ち状態になっています。

私たちは困っている時、途中のプロセスから考え始めて何が出来るか考えてしまいます。
スタート時点では、現実志向ではなく中二病的な全能感、自己顕示欲の方がいいです。
ジョブズの妥協なき部下たちへの中二病的なムチャ振りは、優秀だけど現実志向で制限を低く設定している部下たちのリミッター解除となり、ジョブズ後の世界は一新してしまいました。
結果を出せなければ中二病をこじらせた変人のダメ人間でも、結果を出せば癖が強い偉人。


生活費をパチンコに注ぎ込んでる夫に悩んでる妻がEgボールに入れる願い事は、「パチンコを止めて!」ではなく、「理想的な環境でステキな夫と生涯ラブラブ状態で幸せに暮らしている」映像と感情。安心。喜び。楽しさ。感謝。ほんわかと安らいでる良い気分。

そもそも夫がパチンコさえ止めてくれれば理想的な夫だ!幸せ!と本心から満足できますか?ということです。

最初から最大限の願い、夢と希望を持ってポジティブに生きる事自体が困難を変える。
何があっても私は幸せ♪ 状況的に困っていても人は1秒で幸せになれる。


その幸せな気分と雰囲気から幸せのドミノ倒しが始まり幸せを引き寄せる。
禁止命令は不幸に注目している状態だからその不幸に同調した不幸を引き寄せる。

幸せも不幸もあなたの主観であり、主観だとしたら1秒で変われる。
幸せになるのに努力も時間も必要が無い。幸せとは心の状態にしかすぎない。

ノウハウと理屈さえ知ってしまえば、それだけで変わる。Egは現実化のスピードを促進するだけ。
逆に、Eg伝授を受けていても理屈を知らなければ使えないし、使おうとも思わない。
先に幸せになる。その幸せな気分、雰囲気が同調共鳴した幸せを引き寄せ、幸せな現実に変える。


清水気功と肥田式強健術



清水気功と肥田式強健術を並べるとまさに中二病的ですねw
清水気功のEgボールを使って肥田式強健術を強健術小周天気功法バージョンにしてみようと思います。
Egボールを体内に入れて小周天ルートを回すのではなく腹圧による下丹田にEgボールを重ねて下丹田が沸騰して自動的に小周天ルートを巡るようにしようと決意しました。

ただ肥田春充さんの超人性の体現を目指す中二病的発想ではなく肉体レベルでの小周天活性化が目的です。肥田春充さんの超能力より野口晴哉さんの超感覚の方に興味がありますが、肥田式強健術の下腹部に生じるドカッ!と生じる体感は気持ちいいので感覚の変化を観察したい。


肥田式強健術の動きは気功的であり、内容は気合術です。と書きましたが、
肥田式の補助運動として清水義久先生にも習った小周天体操、大周天体操も習っています。


肥田式を気合術と認識して行うと肥田春充さんの姿勢、動きや説明に否定的になります。
否定的というより肥田春充さんの体型と説明の表現は誤解を招きます。

正中の型の腕の下ろし方も垂直に下ろしてグイッと前方に突き出すという説明も結果的にそうでも、

実際は木刀の素振りのように肘を伸ばして肩を中心に円運動で下ろすことで上体が前方にスライドし、
正中線を床に対して垂直に保ち、同時に膝を抜くことで踵の力で腹圧がかかり一瞬無重力になり僅差
で母指が床に刺さる勢いがフィードバックされて腹圧を凝縮させてドカッと下腹部に力が入る。
るのうに剣心の相楽左之助の「二重の極み」のような事が踵と爪先で発生します。

武術的には悪いとされる居付く動きで足の反動を下丹田にフィードバックするのですが、
無重力状態の時に転回すると不動体と真逆の居付かない武術的な足遣いになるのかと思います。


鉄棒式正中心鍛錬法上体の型を初心者用に下丹田を鍛錬しやすいように改良するなら、
肘を伸ばして鉄棒を肩の高さの水平ラインよりやや上に挙げた状態から肘を真下に落とす勢いで鉄棒を胸に引き寄せつつ、上体を前方にスライドさせて正中線を垂直に保つ事で腰がバネ板のようになり腰腹同量の腹圧がドカッ!と下腹で凝縮します。

上記の要領で春充さんの提唱するように下腹前から肘を引き下げるように鉄棒を引き上げ、上体を前方にスライドさせると垂直の力で腹圧がドカッ!と凝縮しますが、春充さんの誤解を招く説明では腰が崩れてしまい正中線の垂直ラインが崩れてしまいます。



気合いと共に下腹部にドカッ!と力がこもり腹圧が凝縮した状態で、赤く光らせたEgボールを入れています。Egボールを下丹田に入れることで腹圧が球状に整う感じで脚の内側を熱流が上がってきます。
継続すれば沸騰した熱湯感覚になり熱感は仙骨に移動するらしいですが、下丹田の変化も興味深いです。

清水気功 思考が現実化する実用的な7つの法則2



〇法則5 批判が無い時に愛が生まれる。

清水気功では愛無きヒーラーを目指します。理由は、愛を使うと嫌いな人には使えないからとシンプルです。清水気功では愛とは、創造力であり念力という意味も抱合しています。人類の心は集合無意識という、たったひとつのクラウド空間に集まっており、過去から現在に至るまで全人類の心はひとつしかないと知る時、「あなたは私であり私はあなた」なのだから、あなたの不幸は自分の不幸。全人類が幸せでない時、私の幸せは有り得ない。批判がある時、主観を通しての認識であり他人を鏡として自分の嫌な側面を見る事になる。

私は共感羞恥が強く、テレビを観ていても恥ずかしくて直視できないシーンを通して自己の心を見ています。自分の不幸も他人の不幸であり、自分の幸福は世界の幸せであるならば、「自分が幸せになる事で、多くの人が今より豊かで幸せになりますように」という祈りになり、個人的な我欲が世界を巻き込んだ大欲になる時、生成発展している世界の意志と共鳴して助けてもらえる。「この世は良いところ。ステキ!」愛など使わなくても世界は愛に満ちているという世界観が生まれる。どんな酷い環境に生まれようとも3歳まで生き延びられたという事は、誰かがあなたを死なないように面倒を見て育てたという証拠に過ぎないのだから。

生後間もない孤児を研究施設に集め衣食住を完全にした環境の中でコミュニケーションを一切排除して育てるとどんな人間に育つのかという倫理に反した実験が行われたことがあり、コミュニケーション無しでは、衣食住が完全であっても成長できない事が判明しています。たとえ育児放棄された最悪な環境であったとしても、あなたは生き延び今を生きている。

「あなたは私、私はあなた」第4章 包み込みの発想。

⇒ 同意せず、共感せず、仲間でもなく、愛してもいないけれど、
   共に存在することを許し合おう。そして、共に生きていこう。
⇒ 自分も世界も嫌という気分の時、「ありがとう」を何万回言って祈っても無駄。
   良い気分になれない時、嫌な気分と同調する祈りは許しと懺悔。
  「私は許します。」「お許しください。すいませんでした」
⇒ 自他の比較・批判無しに我が事のように祝福するとき自分より大きいEgとも同調共鳴出来きる。




〇法則6 エネルギーは大きい方が小さい方に影響を与える。

街並みで大きい声を発する時、嫌でも注目を集めてしまいます。
いじめられっ子の声は小さく、いじめる側は声が大きい。両方大きいとケンカになります。
大声を発生できる場所といえば、山やカラオケボックスぐらいですが、内言でも大声で絶叫
出来るようになると念がこもった気合いになります。実践してみると分かりますが内言で絶叫
しようと思っても小声程度にしかならないことに愕然としますが、絶叫できるならあなたのEg
は大きい事になります。内言の絶叫が大宇宙に響き渡るように育てましょう。

自業自得による不幸を苦といい苦は1割。外から持たらされる不幸を災厄といい9割。
清水気功では日本国旗を使用した日の丸理論というものがあります。赤丸が我、正方形の白地が世界、
白地の正方形の外側が神。赤丸の我より正方形の白地の方が大きくEgも大きい事になります。

不幸の9割はたまたま場が悪かったに過ぎない事になる。場を浄めればEgは大きい方が勝つという法則により、清浄な場によって、あなたが汚れていても浄められてしまう。

結界を張り場を浄めれば不幸の9割を消してしまえる。家を建てる前の地鎮祭がそれである。
聖なる白い光で輝いたシャボン玉に全身が包まれたとイメージするだけでも不幸を跳ね返す結界になる。白い光に注目することでエネルギーが注ぎ込まれ、イメージのシャボン玉は結界としてのパワーを高める。


⇒ 紙に縦書きで「・氏名○○県〇〇町〇〇番地之メンタルレベル」と書き、
  「・」か「之」の上に水を入れたコップや
  社務所で購入したお守りを置くことで土地の浄化が出来る。場のお祓い。
⇒ 上の文言を「之〇〇マンション〇〇号室玄関之メンタルレベル」と書き換えると
  玄関の風水などとピンポイントで指定できる。
⇒ 清浄な雰囲気が漂う神社の境内で15分以上いるだけでも個人を浄めてもらえる。



〇法則7 基準は効果である。

効果が無いものは、どんなに素晴らしい教え・真理でも採用しない。
結果の為に手段を択ばないのは外道。最終的に独り勝ちを望む事になり世界の敵認定されたのと同義。
独り勝ちを拡大解釈すれば、自分だけ儲かって金持ちになれば、あとの全員が貧乏になっても構わないという事になり、下請けは次々に経営不振で廃業していき、社員も嫌気がさして次々に辞めていき、最終的には自社の商品を買ってくれる顧客も貧乏になって居なくなっても構わないという帰結になってしまう。ゴールは共倒れ。

清水気功では効果があるものは何でも採用しますが現場で使う技はひとつ。その時の気分や状況によ
って使う技は違うものの使うのは1個の技。最初に好きな技を得意技に磨きあげて奥の手にしておく。

どんなに効果がある技でも結果が出ない時がある。効果が無い時、考え方が間違っている。
実力がショボくても効果をもたらすような戦略が必要になる。

清水気功のEg伝授が無くても効果を出せるような思考。どんな風に考えれば神様や世界が同調共鳴
してくれるだろう?「私が幸せになる事で私の知らない多くの人たちも幸せになりますように」

⇒ 手段・戦略が効果を決定づける。
⇒ 効果を求めるより先に、世界に毒を蒔かないように配慮した戦略を考える。
⇒ 我欲にまみれた願い事を世界や神の祈りに変えて同調共鳴してもらう。
⇒ 良い効果を決定付けるのは良い気分であり、困った気分は良い効果を無効にする。
⇒ 出来るかどうか、やってみないと分からないと考えている時は効果はない。
⇒ 幸せそうで嬉しそうに見える雰囲気が最優先。


「野口整体 野口晴哉 全生の詞」※十代の少年時代に作成した詞。

我あり、我は宇宙の中心なり。我にいのち宿る。
いのちは無始より来たりて無終に至る。
我を通じて無限に広がり、我を貫いて無窮に繋がる。
いのちは絶対無限なれば、我も亦絶対無限なり。
我動けば宇宙動き、宇宙動けば我も亦動く。
我と宇宙は渾一不二。一体にして一心なり。
中略。
ウーム、大丈夫。


「光明主義 山崎弁栄 臨終前の言葉」

如来は・・・
いつもましますけれど・・・
衆生は知らない・・・
それを知らせに来たのが弁栄である・・・



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清水気功 思考が現実化する実用的な7つの法則1




思考が現実化する7つの法則は、長年追及しているある教えが元になっていますが、
清水気功の理論背景と体験をフレームに効果を基準にして再構成してみたいと思い下書きしています。
基準とする効果の定義は、起死回生。過去を水に流し、新たなる創造を可能にする法則。


過去を水に流す数秘2と魔術師の創造の数秘1は、生成発展の三位一体の3であり、
2と1の合成数である21は新たなる創造。再出発。月の2と太陽の1の結婚。希望の木星の3。


「この素晴らしき『気』の世界1・2」の第21章は再生する不死鳥フェニックスの物語。
シリーズ1 第21章 「この世の中、エネルギーでなんとかなるほどすてき!」
シリーズ2 第21章 「天使になる刻印」



現世からの飛翔を表し、聖書に書かれている世界創造の1週間の7という数字を分解すると、

神と子と聖霊の三位一体、生成発展の3と現世、地水火風の四大の4。
罪穢れを水に流す2と自由の5。
創造の魔術師の1と愛と美の6。


という数秘術の数字の意味を組み合わせになっています。「この素晴らしき『気』の世界」は、
22章という数秘術に対応した数が現す意味とリンクした内容で構成されているので、数秘が表す
ニュアンスを読み取ることが出来るようになっています。

シリーズ1の第7章 あるウェイターのまごころ。
シリーズ2の第7章 金運を上げる。


一見共通していないように見える内容ですが、共通しているニュアンスが制限からの飛躍です。
数秘術では6までが現世に所属し、孤独、神秘を表す7から22までは精神世界に属しています。
清水義久先生の本は全てエネルギー処理と構成に仕掛けがしてある魔導書になっているので、
アイテムであるとともに読み込むことで新たな気付きを得られるように仕掛けられています。
数秘7は、縁切りの死神の鎌であると同時に現世からの飛躍、精神世界、神秘を意味しています。
シリーズ1は、個から世界に参入する道であり、シリーズ2は世界から個に参入する道とペアになっています。


〇法則1 世界はあなたが思考したとおりになる。

思考とは言葉であり、脳内の言葉で肯定し受け入れた事だけが現実に反映される。
思考によってエネルギーの方向性が決定され、その時の気分に同調した現象が引き寄せられる。
素粒子は同じ座標が重なり合うことができる波動と同じ座標を共有できない粒子という矛盾した
状態を含んでおり、一瞬ごとに波動(幻想)と粒子(物質)が変化流転しています。
それ故に、あなたが何を信じているかによって思考が体験を決めていることになります。
良い気分は良き現象を引き寄せ、困った気分は困った状況を引き寄せる。

野口整体の野口晴哉先生は、12歳の頃から焼け野原で愉気による治療行為を始めているのですが
16歳でお兄さんが亡くなった同時期に肺結核の三期で手遅れとお医者さんに告知されながら、
「両肺が真黒でも、今までも、今も、こうして生きているではないか。それなら肺なんか無しで生き
ていこう」と生命力の強さを信じる事を決意し、自身の体調は無視して、人に愉気を行うことに打ち
込み続け、半年後に医者と再会して、診断を受けると異常なしと医者の首をかしげさせたということです。

⇒ 魂気・メンタルレベルで決定することから物語が始まる。


〇法則2 神に制限はなく、制限が体験を生む。

制限があるからこそ、逆に思考によって制限がなくなります。
宇宙も神も無限で波動的であり、物質には制限があり粒子的です。人も五感の器官を通さないと
世界を認識できず、五感を経由するということは必ず認識に主観が混じることになります。
主観が制限を生むフィルターとなり、あなたが何を思考しているかというフィルターを通してしか
世界を認識できず、制限があるために比較でき認識できる。認識が個体差の体験を生み出しています。
本来思考には制限が無く、思考とはゲームを成立させているルールという制限です。
思考というルールを変更すればルールに応じてゲームの内容が変化する。

魔法で、今ここで叶ったと100%完全同調することで妄想が現実化する理由は、
最初から「よし!出来る」という確信がマイルールとして認識されているからであり、
「魔法など幻想だ!」と認識している人にとっては、「魔法は幻想だ!」がマイルールであり、
真面目に練習しても無駄という帰結にになります。
「制限に限界はない」という制限を信じることで可能性が増大します。


⇒ 最初から「よし出来る!やってみよう」と脳内の言葉で納得したことだけしか受け入れられない。



〇法則3 気分が注目するものを決め、エネルギーは注目した方向に流れる。

良い気分の時、エネルギーは良い現象の方向に流れ、困った気分の時は、悪い現象の方に流れる。
エネルギー量が一定量に達して充電が完了した時、その気分に同調した現象が現実化される。
清水義久先生は良きことに注目し、都合が良い世界にクォンタムジャンプするんだと形容していました。

90歳になる「アメリカの修道僧」と呼称される瞑想の専門家バート・ゴールドマンさんは、50年の
瞑想法の研究で、精神をパラレルワールド(多元宇宙論)に飛び込むクォンタムジャンプをして、
写真家としての人生を歩んでいるパラレルワールドの自分に会い会話を重ねているという。清水義久
先生のオカルト人生の原点も小学生時代の気絶ごっこを切っ掛けにしたクォンタムジャンプであり、
数十年の人生を体験して救急車で搬送される途中で気絶したことで、気絶ごっこから目覚めると小学
生時代の出来事だったはずが、中学生時代の体験にすり替わっており、どこからがリアルな夢でどこ
からが現実だったのか夢と現実の境目の区別が付かず、オカルトの世界に体験の秘密を求めて行き、
夢見術を追及する過程で、ただの夢や記憶障害でもなくパラレルワールドだと認識されたそうですが、このお話も純粋にスゴイね!と注目を向けなければ清水先生の誇大妄想と一刀両断されて自分から分
離してしまうだけです。50年も注目を続ければノーベル物理学賞を受賞した多元宇宙論を実体験でき
るという可能性を秘めたお話となり、我が子の成功のように純粋に喜び同調する時、共鳴して自分の
体験として我が事にできます。


⇒ 喜び注目したものとは同調共鳴し、自分と比較して憧れ、嫌悪、無視したものとは分離する。
⇒ 困った気分の時、選択肢は増え続けてカオスとなり、どれを選択してもゴールは不幸。
⇒ 良い気分の時、選択肢は減少していき、ゴール直前では一択になる。
⇒ 強烈な憧れや生涯の師匠と崇める時も、分離が起こり生涯越えられない壁という制限になる。




〇法則4 パワーは今ここ、現在にしか存在しない。

現実とは手で触れられるものであり、五感で認識できるものだけです。
魂気・メンタルレベルで決定しても感情を伴わない時、儚い夢であり幻想にしかすぎません。
心気・アストラルレベルの過去の体験の記憶には時間は存在せず鮮烈な感情を伴う記憶だけが現在
のリアルであり、鮮烈な感情を伴うリアルな記憶は、マイナスの時、トラウマとなり感情が解放さ
れるか、記憶を良きものに上書きしない限り、すでに終わった辛い体験の記憶でありながら
現在進行形の体験のように肉体と精神を苦しめ続けます。

外傷性精神障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などは、既に終わった出来事のマイナスの情報
が過去にならずに、今ここに存在してリアリティを保っています。強烈な感情を伴うリアルな記憶は
肉体に影響を与えるエネルギーを持った情報として保存されます。

現在にも影響を与え続ける記憶と感情が情報として保持される状態を清水気功では小周天システムと
いい、記憶と感情がループで閉じられてリアル体験として保存され、ループしてサーキットが形成されることで自家発電的にエネルギーが充電されている状態です。


⇒ 「今ここ」とは、注目している範囲であり、過去も未来も注目している時、主観的な現在になる。
⇒ 注目を移動させることをフォーカスポイントの移動と言い、注目の移動によって気分も変わる。
⇒ 願い事が今ここで現在座標で叶ったと喜び、感謝の念が湧き上がった時、小周天サーキットが形成   
  され保存される。
⇒ 主観的に現在進行中のリアルな体験だと感じられない時、感情は解放されエネルギーを失う。
⇒ 辛い時でも、口角を上げ、内言でワッハッハと青空に響かせるように大爆笑するとネガティブが消
  える。
⇒ 林修講師の「いつやるか?今でしょ!」は「いつ叶うか?今でしょ!」と同意語。


つづく。


推薦図書



古典の成功哲学などより生命に真摯に寄り添い続けた野口晴哉先生の奥さんの回想録だけに、
血が通った実践哲学「念ずれば現ず。我が思うが如く、我が事成る也」の背景が温かい視点で
つづられています。伝記としても「弁栄上人伝 日本の光」「弁栄聖者」と並んでおすすめ。
清水先生の講座でも紹介される野口先生が大正琴の弦を気合いで鳴らしたエピソードも収録され
ています。

1日講習とはいえ野口整体の体癖を学んだ身としては、日本の気功の元祖は野口晴哉先生だと
思いますし、野口先生の師匠筋でもある霊術家の大御所・松本別道先生の気合い術も習いもし
たものの野口先生が松本先生から何を継承したかは不明です。清水義久先生は野口先生が邪法
として捨てたアイデアを取り入れて発展させているぐらいですから、本書以上に色々な情報も持
っていそうです。
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プロフィール

慈雨

2016年12月、大和の清水気功セミナー(キリスト&wマリアセミナー)参加翌日、不思議体験を得て衝撃を受け世界観が一変し、イメージ滝行、音霊法の実践による神秘体験後に指のオーラがライトのように視えるように成ったり、大小様々な不思議体験を得て清水気功の神秘さの虜になり、実践研鑽中。

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