清水義久先生は、極悪非道の加害者は許しても被害者意識の人は許さないと繰り返します。
その理由はひとつ、被害者意識を持っている限り幸せにはなれないから。
嘘でもいいから周囲がドン引きするくらい本当に嬉しそうに「ふっふっふっ」と喜びなさい。
現実に関係なく自分が幸せである必要はこれっぽっちもない。
喜んでいるマネをしていると喜びも悲しみも消えていき幸せのエネルギーだけが残る。
幸せなフリで、幸せと共振する。
君たちが祈る時は、辛気臭そうで辛そうだよ。幸せになれるのに嬉しくないの?
と、清水先生は指摘していました。
祈る時に必要なのは、軽やかで明るい幸せそうな雰囲気。
願い事がネガティブでも、祈る人がポジティブじゃないと幸せをお裾分けできないよ。
祈るという事は、嬉しさ、感謝の感情が湧き上がるまで願い事が叶っている場面を妄想する事。
アストラル体で感謝の念が湧き上がったら、想像するゴールをメンタル体という。
「叶って良かったな!」という思考でできている。思考は言葉でできている。
毎日、都合のいい未来を想像し、言葉を言って繰り返していると「本当になるかも?」と
気分が傾いてくる。するといつか嬉しい気分が気分が湧き上がってくる。
大宇宙に響き渡るような「やったー!」という絶叫が生まれる。
その時、メンタル体のエネルギー充電完了!
その時、未来座標ではなく、現在座標で叶ったと思う時、小周天のループが閉じサーキットが形成される。