「南無阿弥陀仏」という称名は、清水気功でも天運を貰うマントラとして、
「南無妙法蓮華経」という地運を貰うマントラとセットで扱ったり、単独で用いたりします。

光明主義とは25歳で悟りを開き、念仏三昧による弥陀合一を果たし、高潔な人格もあり、
お釈迦様の再来と称えられた無私の法力僧・山崎弁栄聖者が晩年に起こした浄土宗の流れ
を汲む一派です。

称名念仏の念仏三昧によつて無差別智という仏教の教えの中で説かれる超能力を開眼し、
その人生は、定住せず平均3時間の睡眠で布教に全国を行脚する徹底的に無私の人でした。
体力がある若い僧侶でさえ山崎弁栄聖者のお供をすると疲労困憊するほどのストイックさ
を体現していた人であり、お釈迦様の再来と知っても知識不足でピンときませんでしたが、
『日本の光』という弁栄伝を読んで、これは僧侶版ゴルゴ13だと感じました。

ゴルゴ13は、万能人であり、常人離れしてストイックで生き方が美しい。
絶句しました。弘法大師空海さんと並ぶ傑僧が100年前まで実在していたことに衝撃を
受けました。同年代人に歎異抄を世に広めた浄土真宗大谷派の清沢満之さんがいますが、
弁栄上人同様に現世往生を精神主義と称して展開しました。コンプレックスと辛苦に満ちた
壮絶な人生を送った清沢満之のお寺・西方寺は愛知県碧南市にありますが、近くには弁栄上人
と縁があるお寺さんがあります。交流の記録は残っていませんがお互い噂ぐらいは聞いていた
かもしれない。西方寺の阿弥陀様にお参りすると百会がジンジンと反応し、畏敬の念を抱かさ
れました。


キリスト教、古今東西の哲学、科学を吸収し、念仏三昧による弥陀の光明による心の光化に
よって、生きたまま現世で極楽往生するという光明主義は神秘主義的浄土宗に昇華させたよ
うに感じられます。浄土宗と言えば称名念仏ですが、山崎弁栄聖者は弥陀の顔をイメージし
ながら称名念仏を唱える法然上人以前の念仏である般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)の
観想念仏に戻しています。空海さんの真言宗教義の真髄を講義できるほど全宗派に精通した
弁栄上人が、世界宗教の真髄を抱合して欠けが無い宗教として提唱した光明主義がメインにし
たのは、念仏三昧でした。

称名念仏などただの現実逃避の気休めの迷信だとバカにしてたことは一知半解でした。
念仏を唱え続けることで内言のネガティブキャンペーンが搔き消され、困っている気分が消さ
れ、安心が生まれてくることを、音霊法をやり込んだ後に光明念仏を行ったことで体感しまし
た。瞑想状態が深くなり夢うつつの状態をキープできるようになると、脳内の後頭部から後光が
射し眩しさから覚醒した体験や、夢うつつでしか感じられない胸部のポイントに念仏の響きを重
ねて響かせることで波紋の様に体外に響きが出ていき宇宙に広がっていくという宗教体験を得ました。

山崎弁栄聖者のことは清水気功と同時に知ったのですが、清水義久先生のEg伝授が無かった場合、
百会のチャクラを開くには光明念仏さえあればいい事を体感しました。(ただ時間がかかります)
清水気功の知識を持って山崎弁栄聖者の著書を読み解くと同質の内容を説いているように思えます。
全ての技を削ぎ落していくと神仏の聖名を唱えるだけで、願わずとも副次的に叶えてくれる。
身口意の三密加持が、称名念仏に統合されて一密に成っていく苦行を廃した即身成仏儀。

般若心経の観世音菩薩は頭部に阿弥陀如来を配し五蘊という雲を照らして実態を観た。
地獄・餓鬼・畜生の三途の大川を渡らしてくれる大呪それ自体が弥陀の光明だったというオチ?
ラジオで正確に周波数を合わせることで、放送局の電波が受信されるのと同じ原理。
弥陀の称名とご尊顔を保持することで、阿弥陀如来の光明が共鳴して受信される。
Egが大きい方がEgの小さい方に影響を与えるという、清水気功の「霊能者禁止」というネガティブ
同調の対極となるポジティブ同調。



清水義久先生の「この素晴らしき『気』の世界」と同時に購入したのが「法然上人の神髄 」でした。
法然上人の神髄 (現代語訳)は、入門書的書籍でありながら極意書になっています。ルドルフ・シュ
タイナー、ヨガナンダが説いてる教えが詰まっています。

光明念仏の心得を記録した講話録は山崎弁栄聖者の生前に出版された唯一の書籍であり、
法然上人の境地と如何にして称名念仏で阿弥陀様と神人合一を果たすのかを詳細してあり、
ほぼ、清水気功の極意、技・秘儀を成立させる理論背景の解説書ともいえる内容になっています。